ゆらぎの詩歌日記

好きな詩や歌、俳句などについて語ります

新しいブログのスタート

これまでgooブログで記事を書いてきました、最近記事の作成の方法が変わり、扱いに抜くくくなりました。どこで、これからは、「はてなブログ」で書くことにしました。

 

第一回は、「私の好きなミステリー作家」です。7月に逝去されました森村誠一さんを偲んで、その思い出を綴ります。

好きな詩~夢みたものは

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夢みたものは(立原道造

 

夢みたものは ひとつの幸福

願ったものは ひとつの愛

山なみのあちらにも しづかな村がある

明るい日曜日の 青い空がある

 

 

日傘をさした 田舎の娘らが

着飾って 唄をうたっている

大きなまるい輪をかいて

田舎の娘らが 踊りを踊っている

 

告げて うたっているのは

青い翼の一羽の 小鳥

低い枝で うたっている

 

夢みたものは ひとつの愛

願ったものは ひとつの幸福

それらはすべてここに ある と

好きな詩~八十八夜~田中冬二 詩集『青い夜道』より

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つめたい秋から冬を 紙袋の中でかさかさと

すごして来た種よ

八十八夜が来て 君らが野良へ下りると

もう暗い夜道のひとりあるきも さびしいことはなく

何となくにぎやかで

君らのはなしごえでもきこえそうだ

そして君らは

やわらかい青空から 甘い酒でもよびそうだ

好きな詩~わたしが一番きれいだった時~茨木のり子

 

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達がたくさん死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり
卑屈な町をのし歩いた

 


わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのようにね

好きな詩~青い夜道

好きな詩~青い夜道

 

 いっぱいの星だ

 くらい夜みちは

 星雲の中へでもはいりそうだ

 とほい村は

 青いあられ酒を あびている

 

 ぼむ ぼうむ ぼむ

 

 町で修繕(なほ)した時計を

 風呂敷包みに背負った少年がゆく

 

 ぼむ ぼむ ぼうむ ぼむ・・・

 

 少年は生きものを背負ってるようにさびしい

 

 ぼむ ぼむ ぼむ ぼうむ・・・

 

 ねむくなった星が

 水気を孕んで下りてくる

 あんまり星が たくさんなので

 白い穀倉(こくぐら)のある村への路を迷ひそうだ

 

 

 田中冬二の詩集『青い夜道』より 

 ふるさとへの郷愁を静かに紡ぐ。夜の詩が多い。なんとなく心惹かれるものがある

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好きな詩~冬の夜道

好きな詩~冬の夜道

”冬の夜道を 一人の男が帰ってゆく 激しい仕事をするひとだ

 その疲れ切った足どりが そっくり それを表している
  月夜であった 砂砂利を踏んで やがて一軒の家の前に 
 立ちどまった それから ゆっくり格子戸を開けた
 「お帰りなさい」 土間に灯が洩れて 女の人の声がした 
 
 すると それに続いて 何処か 部屋の隅から 一つの小さな
 声が云った また一つの別な小さな声が叫んだ
 「お帰りなさい」

 冬の夜道は 月が出て ずいぶんと明るかった
 それにもまして ゆきずりの私の心には
 明るい一本の蝋燭(ろうそく)が燃えていた。”

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山深い信州の自然や人たちを愛した津村信夫の抒情詩。