ゆらぎの詩歌日記

好きな詩や歌、俳句などについて語ります

好きな歌~モーレンカンプふゆこ

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 人生が旅と思えば重たやなスーツケースにあこがれ詰めて

                ーモーレンカンプふゆこ

 ずうーっと異郷の地、オランダに暮らす歌人。母国語を忘れまいとして思いもかけず歌が溢れだした。朝日歌壇に投稿しつづけた。退職後、手作りで私家版歌集『還れ我がうた』を出版。美智子皇后も、彼女のファンのひとり。そのことば、

 ”異国の地において美しい日本語を守る姿をうれしく思う”


(写真は、水のまち郡上八幡にて)

好きな句~山笑う

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山笑ふかの世に合図送らばや

           日経俳壇(2014年3月30日 勝俣文子)

 

 ”かの世に棲む人々にこちらの無事、など知らせたい若き高校教師・・”

                       (黒田杏子 選)

もう亡父の年の倍ちかく生きてきた。思えば、若い、若い父だった。

それでも多摩にねむる父の墓を訪れ、元気でやっているよ、と報告したい。

好きな歌~花ふり

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 うっとりと 時間忘れてみとれたし

  はなふり、光凪、菜の花浄土

            (道浦母都子 『花眼の記』より)


 和歌山県西岸紀淡海峡に面した海岸ぞいで、春秋の彼岸の中日、真西に
 沈む夕日の周辺にきらきらと光の花びらが舞うようにみえる。いつでもみえ
 るというわけではない。ある年の春、車を雑賀崎(さいがさき)の突端まで
 走らせた。花ふり、は見られなかったが、素晴らしい夕景であった。

好きな詩~求めない

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求めないことで、人は自由で平穏な気持ちが得られる

 

 ”人はなにも求めないななんてことはありえない。

 人はいつも、求めている。

 

 いつも求めてやまぬ存在だ。

 

 

 人には

 他人に求めるときと

 自分求めるときがある。

 

 自分の命を生かすために衣、食、住を求める

 それらは当然だー体が求めることだ。

 知力が動き、知ることを求めるー

 

 それも当然だー頭が求めることだ。

 自分がよりよく生きるためと

 人をよりよく生かすために

 

 この両方は必要さーただね。

 今の君は、

 体と頭のどちらの求めに

 より多く従っているか。

 体よりも頭が威張っていて

 よけいに求めすぎていないかー

 頭は欲張りなんだ。そしてしばしば

 頭に引っ張られて

 体もせっせと動きすぎるんだ。

 

 ほんの五分間、いや三分間でいい

 なにも「求めない」でいてごらん

 為すことを無しにして

 全身を

 頭の支配から解放してごらんー

 

 できれば野原にあおむけにねころぶ

 できれば海に大の字に浮いてみる。

 目は

 浮雲の動きを映すだけ

 耳は

 ただ音を受け入れるだけ、

 口は

 息の出入りに任せている。

 

 すると君は体が

 命のままに生きていると知るー

 求めないで放っておいても

 

 体はゆったりと生きていると知る。”

 

         ~(加島祥造 『求めない』)

 

好きな詩~旅途

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旅にいづることにより

ひとみあかるくひらかれ

手に青き洋紙は提げられたり

ふるさとにあれど

安きを得ず

ながるるごとく旅に出づ

麦は雪のなかより萌え出で

そのみどりは磨(と)げるがごとし

窓よりうれしげにさしのべし

わが魚のごとき手に雪はしたしや

 

         ー室生犀星(旅途)

 

好きな詩(わたしが一番きれいだったとき)

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わたしが一番きれいだったとき(茨木のり子

 


わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがらと崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
誰もやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆(みな)発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように ね

 

 

茨木のり子じゃ15歳で日米開戦を、19歳で終戦をむかえた。

好きな歌~春宵の酒場

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”春宵の酒場にひとり酒啜る(すする)誰かこんかなあ誰あれもくるな” 

                     ー石田比呂史 『九州の傘』

 

今の季節は、冬なのだから上五は、冬惜しむあるいは年惜しむでもいいかと、も思う。しかし、春愁ということばもあり、そこへつながる春宵が、やはりいいかと思う。誰は誰か? ひそかに思う美女のことかも。

 

(切り絵は、今はなき成田一徹さんを偲ぶ会の案内から)